評論家でなく当事者になれ

なんとなくタイトルに惹かれたので。
ARという物を認識したのは同僚から紹介された「電脳コイル」というアニメからでした。あのアニメ自体は途中からオカルトちっくになってしまって、個人的にちょっと残念な物だったんですが(面白かったけど)、これは将来に絶対に実現すると思った技術でした。

実際その後にARtoolkitセカイカメラ等が登場してきており、後はメガネ型やコンタクト型等、常に着用して苦痛じゃないデバイスさえ出てくれば爆発的に普及するんじゃないかと考えております。私自身Artoolkitは名前だけ、セカイカメラはインストールしてるけど、起動回数は数回という矛盾した行動をとっています。
理由として人がたくさんいる中でiPhoneをかざしたりすると目立ちますし、場所によっては犯罪と間違えられる可能性もあります。例えば生粋のメガネ男である私の場合なら、メガネのレンズ自体にARの表示がされるといった状態で気軽に使えるようになれば、もっと使うようになると思います。

多分法律的な事や安全性と言った面で実現は難しい(もしくは出しても事故等により規制されちゃう)と思うんですが、クレイジーなハード屋さんに期待します!

と、ここまで書いてある人を思い出しました。

ウェアラブルの伝道師 塚本昌彦氏のインタビューが書かれた本「我らクレイジー☆エンジニア主義 (講談社BIZ)」に次のような内容が書かれていました(私的に解釈)

「私は未来を予言する。でも当事者である我々が未来を作るんだ」

私も当事者にならなければいけませんね。

我らクレイジー☆エンジニア主義 (講談社BIZ)

我らクレイジー☆エンジニア主義 (講談社BIZ)